今日のひとこと

2009年4月23日 (木)

80歳にして過ち認める

 私が「機能不全家族」で育ったことは、前に記述したとおりだが、それについて、先日、父親の見解を問うた。

 父は、「機能不全家族」という言葉の理解はできないが、自分の傲慢だったことについては認めて謝罪した。だから、今、母に優しく接するよう努力しているという。

 だからといって、私は、両親を許したわけではない。ただ、距離をおいてもつきあわなければならないなあとしぶしぶ認める次第である。

 いい大人だって道に迷うことはあるのだ。大人だって過ちを犯すことはある。だから、刑法は子どもに優しく、大人に厳しい。

 フワシイズムの連中が内部からしっかり批判され、過ちを認めることはないのだろうなあ。関係ないけど。

愛と憎しみは、表と裏

一枚の紙がある、表は愛情で、裏は憎悪。これが、ひっくりかえってしまうことがあった。私の場合。

ボーダーライン、それとも何かの依存症、そんな風に医師に言われたけど、病名をつけるのは問題ではなく、症状が問題だとのこと。

今日はそれだけ。

2009年4月21日 (火)

機能不全家族で育った私

 私は、「機能不全家族」で育ちました。そのことが後々の人格形成に至るまで大きな影響を与えました。父親は、かなりのアルコール中毒のうえに、絵画という自分の趣味を何よりも最優先する傲慢な人でした。私が小学生のとき、姉はよくジグソーパズルを作っていました。

 そのジグソーパズルを昼間はみんなで一緒に作っていたのに、夜、酔って帰ってきたときに、「こんなものは何もならん」といって足でぐちゃぐちゃに踏みにじってしまったのが父です。

 そしていつも夕飯時には、酔って一人で自分のことばかり話しているから、母親はずっと会話をしませんでした。もちろん、私も姉も会話の相手になるようなことはしませんでした。

 父は、しろうとゆえの面白い着眼点に喜ぶ人ではありましたが、芸術についても何事につけても、枠を知ってから枠をはみ出すようにならないとダメだということにいまだに気付いていないようです。

 一方、母親は、拝金主義でした。何をみても「これはいくらするの」とか「それは高そうだね」とか、そんな言葉しか言いませんでした。

 私たち家族が4人そろって旅行にいったのは、一度きりです。それが不自然だとは思いませんでした。なぜなら、もう家族がみんなバラバラに自分の好きなことをやるようになったからです。

 芸術について、私も姉も、音楽に傾倒しました。私は、ロックバンドをやっていましたが、姉は高校のブラスバンド部で結構活躍していました。小さい頃は、絵を描くのが好きな姉弟でしたが、父親をみて育ったので、絵には興味がなくなっていったのです。

 先日、久しぶりに姉と電話で話しました。「ほんとにみんなバラバラだったね」と。

 思春期をそんな風に過ごした私は、寡黙で人間関係にぎこちない人間になりました。めでたしめでたし。

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